非建築家、アーティスト、映画批評家、ドラァグクイーン、イラストレーター、文筆家と、様々な肩書きを持つヴィヴィアン佐藤の活動の全貌を把握することは非常に難しい。当日もドラァグクイーンの姿で登場してくれたヴィヴィアン氏。ドラァグクイーンというと、クラブなどアンダーグラウンドで活動するイメージが先行するが、ヴィヴィアン氏は、クラブイベントのほかにも、美術館やギャラリーの様々なオープニングパーティに呼ばれることが多いという。パーティーといっても、ただゲストがいて、美味しい食事と飲み物があれば成り立つというものでもない。そこにはホスト役が必ず必要で、適切な話題を提供したり、人と人を結びつけたり、またよどんでいる場所をみつけてはコミュニティをひっかき回す人が必要である。ドラァグクイーンとしてのヴィヴィアン氏にはそのような役割が期待されることが多いのだという。実際にレクチャーの中で紹介されたパーティーでの参加者との記念写真では、そうそうたる人物が、普段は見せないようなリラックスした表情でカメラに向かって微笑んでいた。これは、ヴィヴィアン氏だからなせる技で、ドラァグクイーンとして振る舞うからこそ、社会的な地位や境界を軽々と超えて人と隔たりなく交流することができるのだ。このような職能ともいうべきホスピタリティを持つヴィヴィアン氏は、我々の想像を超える人脈の広さを誇る。
ヴィヴィアンの「人と人をつなぐ」活動は、パーティー以外の場でも活かされていて、それが「ヴィヴィアンシート」というものである。友人に勧めたいと思うイベントなどのチケットを通常の価格より安く設定して提供するという、言わば私設PR活動である。多いときには400枚ものチケットを売ることもあるという。ただやみくもに紹介するのではなく、あくまで自分自身が良いと思ったものだけを紹介している。ヴィヴィアン氏いわく、作品は、個人だけで創られるのではなくて、いろいろなものが共鳴しあい、また現代の社会が求めているものが自然と形となって立ち現れてくるものである。そこから自分が何を汲み取れているのか、それを常に問いながら活動しているのだという。「重要なのは、作家が面白いことをするだけではなくて、きちんと観る人に届けられるということ」と小崎氏が続けた。小崎氏は、雑誌やウェブという媒体を使って人やものごとをつないでいるが、ヴィヴィアン氏の場合はヴィヴィアン氏自身がメディアとなり、人やものごとをつなげていく。そこに、彼女を軸とした「場」が生まれるのだ。そこに彼女の本質が現れているのではないかと思う。
また、作品を読み解く際に、ヴィヴィアン氏は「誤読」に努めているという面白い提案を行った。作家が気づいていないことも含めて、作品の制作された場所の歴史や磁場のようなものを読み解きながら、自分のものにしていく。これは先に触れた、「いかに自分自身が汲み取れるか」という、自分自身のリアリティを基準に率直に人やものとの関わり続けているヴィヴィアン氏の一貫した姿勢を垣間見せるエピソードである。
人と人、ものごととものごとをつなぎ、ジャンルや境界を超えた交流を生み出す「場」。それは、アフターパーティーのような制度の外にある場合も多い。より豊かなアートの場を広げていくには、ヴィヴィアン氏のようなアートという場におけるホスト役や良きサポーターの役割が非常に重要であることに気づかされたレクチャーであった。
林朋子(せんだいメディアテーク企画・活動支援室)