2月1日の1周年記念のシンポジウムは「メディアテーク・ファンクラブ」の集いさながらであった。会場は市民で埋めつくされ、産みの苦しみから1歳に成長するまでの様々なエピソードが披露され、愛するメディアテークをさらに進化させるための、注文や提案も飛び出した。私はオブザーバーとして参加させていただいたが、多くの人たちの情熱がメディアテークを支えていることを実感し、明るい気持ちになった。 私がメディアテークの存在を知ったのは、アメリカに住んでいた時だ。当時は、ニューヨークなどの公共図書館をテーマに取材していたこともあり、帰国の度に日本でも図書館やミュージアムなどを訪ねてみたが、正直がっかりすることが多かった。メディアテークを訪れたのは昨年7月、この施設の伸びやかさは他とはずいぶん違うと感じ、その夜は眠れないほどの興奮を味わった。 こんなメディアテークファンの私ではあるが、それだけに期待も大きく注文もある。そのひとつは、この施設が人と人とを結びつける「メディア」になってほしいというものだ。情報や知恵やアイディアの源は、本や資料、アート、インターネット上にも山のようにあるが、究極的には人間そのものの中にあると思う。だから人と人とが出会って、お互いを刺激しあう環境を作りをすることはとても重要なことだし、ネット時代になればなるほど、物理的な空間を共有する意義も高まっている。
ところが、メディアテークには老若男女たくさんの人たちがやって来て、こんな素敵な空間に居合わせているにも関わらず、他者と触れ合う「しかけ」が少ないのだ。本当にもったいない。そこで、アメリカで盛んなブックディスカッションを企画してみるのも一案ではないか。参加者全員が同じ本を読んで議論することで、本が人を結びつけることになる。また、ニューヨーク郊外の図書館で毎月行なわれている「マイクナイト」も参考になる。誰もがステージの上で7分間、日頃の問題意識を訴えたり、詩を朗読したり、何でもできる場を提供するのだ。講演やパフォーマンスを行なうのは普通はそれなりの「プロ」に限られるが、一般市民にもこうした情報発信の場があっても良いと思う。
これまでの図書館やミュージアムは、市民が出向いてそこにあるものを消費して帰ってくるだけだったが、メディアテークには、むしろ市民が新しいものを生産するための拠点になって欲しい。そして、2周年記念のイベントが、ここで生み出されたものを披露するような、そんな集いになればよいと思う。