ウェブデザインに求められるセンスはなんだろう、ということを時々思う。仕事柄。グラフィカルなセンス? 画面上の動きに関するセンス? いや、そういうことじゃないんだ。ウェブサイトというものが、共有するほかにどうしようもないモノであると理解していること。そしてなにかを共有することの喜びを、人一倍敏感に感じ取るセンスを持っていること。これらが欠かせない。
これまでデザインは、人々がそれを欲して所有したくなる、そんな欲望を喚起するために力を発揮してきた。が、ウェブサイトを丸ごとダウンロードして、自分のハードディスクにとっておきたい。そんなことを考える人がいるだろうか。これはたとえば、旅先のパリの街角でどんなに気に入ったカフェに出会っても、それを丸ごと持ち帰ることは出来ないのに似ている。まわりの環境と深く結びついて生きていて、単体で切り取ったらすぐに死んでしまう場所。それを個人が所有することは出来なくて他の人たちと共有するしかない。うまく共有されると、それはますます魅力を増す。ウェブサイトをデザインすることは、そんな共有財をデザインすることだと思う。
所有でなく、共有のためのデザイン。ウェブデザインは一見グラフィックデザインのようで、インターフェイスを見ているとプロダクトデザインのようでもあり、文章量が多い時にはエディトリアルデザインの様相を見せたりもする。が、最も近いデザインジャンルは、間違いなく建築かランドスケープだろう。それは両者の基本姿勢が、所有でなく共有のカタチを探す点にあるからだと思う。
World Wide Webという言葉を聞く機会がとても減ったことに、ある種の感慨をおぼえてしょうがない。あらゆるウェブサイト、あるいはウェブページは、World Wide Webという大きな生きた環境と、分かちがたく結びついている。それがこのメディアの最大の特徴であり、歴史に残るだろうウェブ・プロジェクト、たとえば「Google」や「SETI@home」にはその特性が最大限に活かされている、のに。いいサイトほどそうなのに。たとえばGoogleの検索で上位に出て来るような、World Wide Webの生態系に深く根を張ったサイトの大半は、CD-ROMにでも焼いた途端なんの魅力も意味もないデータの束になってしまう、のに。多くのウェブデザイナーは、ウェブページのことは考えていても、World Wide Webのことは忘れてしまっているように思う。
smtのことを書こうと机に向かったら、ウェブデザインの話になってしまった。共通するキーワードは「共有財」である。先日、渡辺保史によるモデレーションで開催された「共有のデザイン」の初回セッションに、ゲストとして参加した。その最中、あの仕切のない空間と、その使われ方・使いこなしている人々の姿にとても魅力を感じた。最初の話に戻すと、あらゆるウェブデザイナーはFlashのノウハウ本なんてどうでもいいから、smtへ足を運ぶべきだと思う。そしてそこで一日を過ごして、共有財に求められるデザインとは何かということに、思いを馳せてほしい。僕は馳せました。