「ドラマの再放送を止めて」と訴える手紙が、少年院から放送局に届けられた。「自分がナイフで人を傷つけたのは、ドラマでアイドル俳優が使うナイフに影響されたからだ。自分のように真似をする人が出ないように」が、理由であった。少年は自分を犯罪に追い込んだものは何かと自問し、「悪いのはテレビだ」に辿り着いたのだろう。この少年がメディアリテラシーについて少しでも接し学ぶ場があれば、ドラマの主人公と自分を同一視する無防備な視聴や、再放送反対などと問題を単純化することはなかったと思いたい。
メディアリテラシーとは、メディアを理解し使いこなし自らも作る能力のことである。情報の海で溺れずに泳ぎ切る力を人に与える。生きる力といってよい。あらゆるメディアにはメッセージがある。だから人を感動させたり影響を与えたりするのだ。そうしたメディアの特徴を知らずに、子供たちは日々膨大な情報に無防備に晒されているのが現状だ。
一方、メディア時代を生きるための教育実践は取り組みが始まったばかりである。実は昨年から、筆者も参加し関心を共有する東京大学情報学環の研究者と地元の東日本放送、smtの3者が、宮城県内の高校生たちにテレビ番組を制作してもらう活動に取り組んだ。ミュージアムにいる者として社会教育施設がメディアリテラシーを深めるための場となり、送り手と受け手が出会う仕組みを模索したいと考えた。
メディアの特性は作ることを通して一番よくわかる。この活動により高校生たちはテレビの意図や向き合い方を深く考えるようになっていった。メディアリテラシー学習が確実に生きる力をつけ情報社会の基礎体力を上げると確信できた。思えば、日頃から映像を見たり作ったり話し合ったりするsmtの活動自体、自然なメディアリテラシー実践につながる。公共施設がメディアを通して出会い学び合う場となる柔らかいイメージが見えてきた。