イベント 2013年03月03日更新

第20回 「さらに震災から〈教育〉を考え直す」(要約筆記つき)


■ 日時:2013 年 3 月 3 日(日)15:00−17:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
■ ゲスト・ファシリテーター:寺田俊郎(カフェフィロ会員/上智大学教員)
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ
■ 問合せ:e-mail tanishi@hss.tbgu.ac.jp (西村)
■ 主催:せんだいメディアテーク、てつがくカフェ@せんだい

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震災を伝えることの意味

「震災と教育」というテーマで二回にわたってさまざまな角度から考えてきました。さらにもう一回、考えてみたいと思います。
「震災と教育」第一回では、震災直後避難を呼びかけ続けて津波の犠牲になった女性を小・中学校の道徳の教材にすることにまつわる違和感から出発して、震災を「美徳」という観点から語ることの是非、防災教育・安全教育の不十分さ、自分で考え・判断することを教える必要性、学校で道徳を教えることの難しさ、などについて考えました。
第二回では、「震災はどのように教えられるべきか」という問いから出発して、防災教育・安全教育、地域の知恵の伝承、学校教育の限界、現在進行中の事柄を教えることの不可能性などについて考え、最後に、震災を教えることが死者を弔い震災を乗り越えることにつながるという視点が示されました。
私たちは、このたびの震災から、さまざまなことを学ぶことができるし、また学ぶべきです。そして、学んだことのうち次の世代にとっても大切だと思われることを、次の世代に伝えるべきです。にもかかわらず、原子力発電の問題に見られるように、まだ学ばれるべき多くのことが学ばれていないのではないでしょうか。このような観点から考えることが重要であることは言うまでもありません。
しかし、震災を教えることにはそれに尽きない意味があるのではないか―そういう問いを、第二回の最後に刻まれた「死者を弔い震災を乗り越える」という視点は投げかけたように思います。防災・安全のような技術的要素の強い事柄の教育の根底にすら「死者を弔い震災を乗り越える」という動機がある、という指摘もありました。それは、第一回で示された印象深い言葉づかいを借りて言うならば、震災を「教える」ことというよりも震災を「伝える」ことに属するのではないでしょうか。
第三回では、以上のような観点から、震災を伝えることの意味について、みんなで考えてみたいと思います。

(カフェフィロ/上智大学 寺田俊郎)

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「震災と教育」第一弾・第二弾の記録
これまでの議論のレポートと黒板の写真は下記からご覧いただけます。

「震災と教育」レポート(7月1日開催)
http://table.smt.jp/?p=3692#report

「震災と教育 第二弾~震災から〈教育〉を問い直す」レポート(10月7日開催)
http://table.smt.jp/?p=1323#report

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てつがくカフェとは
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。

てつがくカフェ@せんだいHP:http://tetsugaku.masa-mune.jp





*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=3714
*イベントのレポートはこちら https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2013/03/20.html


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