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せんだいメディアテーク
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「扉」から移動する記憶〜smtからYCAMへ。 写真

YCAM(山口情報芸術センター)は、昨年11月に山口市にオープンしたアートセンターです。図書館と芸術施設(アートホールやシアター、映画館機能をもつスタジオが大中小、それとメディアラボがあります)が複合されたものということで、smtの外戚のような存在かもしれません。長方矩形のような山口市をそのまま圧縮したような中園地区という市の中央部に、このセンターは存在しています。

アートセンターが都市の中心部にあるということは、郊外化が進む現在ではなかなか稀なことだと思うのですが、さまざまな目的をもった都市の移動者の軌跡が、多重・多層に文化拠点を交錯することで、そこに別の不可視の場が立ち上がり、予想できないイベントや知覚が発生する。これは本来アートやシアターのもつ密度や祝祭的迷宮を呼び起こす不可欠な磁力ではないか。たとえば1977年開館したポンピドゥセンターがボブールではなく、デファンスやラ・ヴィレットの奥にあったと想像するなら、たぶん都市とアートの相互浸透機能は完全に分断され、その後の世界各地のコンテンポラリーアートセンターの行末も、随分別の方向になってしまっていたかもしれません。

YCAMは幸いなことに、地方都市ながら、市の中心部に新設されたという幸運な条件に恵まれ、また建物も土地の利を得て、水平に広がる空間が、開放的な回廊構造、循環的視点移動を作り出しています。ゆくゆくの野望を述べるなら、この開放的な空間、移動経路上に、局部局部のデンシティをバラバラにしてかけていきたい。作品空間という保護され、一括された温室ツナガリではなく、街角を曲がると1m違いでも知覚が一新し、違うテンションに牽引されてしまうような、グリッサンドな連鎖や知覚のシミ、引き付け合う明暗のようなものを、経験的記憶の中に地層/断層として作り出したいというのがあります。感覚のクレーターに都市の記憶が不断に召喚されながら、新しい文化細胞がそこに更新、上書きされていく。このような不連続に隣接する場を文化施設の日常に内包することは可能でしょうか。

都市における、透過の構造をつくりだす感覚の層へ着目する、これはsmtの根幹のコンセプトでもあったと思います。僕自身、smtの開館記念展「記憶の扉」に、わずかばかりお手伝いさせていただいたこともあるのですが、このような層状の文化強度が垂直なヴェクトルだけでなく、水平に、さらに地勢を超えてネットワーク化され、転移連動していくことを想像しています。

YCAMでは、開館記念に「アモーダル・サスペンション―飛びかう光のメッセージ」という、野外スペースに設置された壮大なインスタレーション(250×80mの楕円状)に、携帯電話やウェブ上からメッセージを送信/受信することで、20基のサーチライトが、全体が生物のように動きながら光の集積態が出来上がって、アクセスにより変化していくという作品をやりましたが、smtをはじめ世界各所の芸術文化センターにご協力いただき、19ヶ国30サイトのアクセススポットをつなげることが可能となりました。たとえばデッサウやサンパウロや仙台の「誰か」から発信されたメッセージを、山口市の中学生の「誰か」が受け取ってしまうというハプニングが作品によって可能となったのです。

YCAMではまた、ひとつの戦略として、空間アートとしてのサウンドにも注目しています。野村誠による「しょうぎ作曲」というJ.ゾーンのコブラ的な、集団による循環共同作曲方法を、市民参加楽団と地元オケでパフォーマンスしたかなりユニークなライヴが先日あり、さらに12月におこなったコンサート、大友良英の11人の奏者が円環状に観客を取り巻いて即興を展開するライヴ「anode」を、4chで再現するインスタレーションが公開中で、またメディアラボでは、2月に発表するダムタイプと池田亮司の、それぞれの新作がレジデンスで制作の只中(2/13,14:池田亮司新作公演、2/20,21:ダムタイプパフォーマンス「VOYAGE」、2/13〜4/4:インスタレーション「VOYAGES」)という具合です。サウンドのように一瞬にして消え去ってしまう空間の経験を、いかに場の記憶として地層化するか、それが次の課題かもしれません。