メディアテークがオープンした年、年間で461件、約9269名の視察の方がお見えになりました。また、この年、新聞・雑誌等で取り上げられた件数は、約200件に上ったと記憶しています。それらの方々の関心は、ある場合は建築であり、またある場合は街づくりに及ぼす公共文化施設の影響でありと多岐にわたるものでしたが、その中に、初物見たさの気分があったことは否定できないでしょう。
博物館、美術館といった公的な施設はもとより、商業施設でもオープン時には、どっと人が押し寄せるものの、やがて潮が引くように、人波が衰退していくというのは、よく聞く話です。開館の前後、運営戦略を担ったプロジェクト・チームの面々と語り合いながら、私の胸にきざしていたのは、オープンの晴れがましさや準備の苦労が報われたという感慨よりも、むしろ3年後、5年後にsmtは、独自のプログラムによって、自立的な魅力を発信しているのだろうかという獏とした不安であったと思います。
そして3年。すでに私自身は、メディアテークを離れ、役所の常識からすれば、一応かかわりがない立場となったのですが、いまだに、その紡ぎ出す糸の端に自分もつながっているかのように感じることがあります。
たとえば、昨年11月、NPO「図書館の学校」のメンバーからのお勧めで第5回図書館総合展の関連セミナーで「図書館サービスの垣根を取り払う−せんだいメディアテークの実践―」というテーマでお話をさせていただいたのですが、その際、会場にいらした尼川さん(最近まで大阪のドーンセンターで情報資料室のお仕事をしておられました。現在、国立女性教育会館客員研究員)の「おもしろい」という一言で、2月22日には、関西の図書館関係者とライブラリーマネジメントについて意見交換をするという段取りが出来上がってしまったのです。
メディアテークが開館した時、そのいくつかの役割の中で、図書館機能に注目したコメントは決して多くはありませんでした。それは、図書館を施設の核とも考えてきた我々にとっては、ちょっと残念なことでしたが、こうして3年たって、ゆっくりと何かが動き出すということもあるのだと気づきました。珍しさが消えたあとで、語るべきものを持てるのか否か。問われるべきは、常にそのことなのであろうと思います。
「ターミナルではなくノードであること」「あらゆるバリアから自由であること」「最先端のサービス(精神)を提供すること」。改めて、この3つの基本コンセプトが頭をよぎる昨今です。